9歳年上の姉と心の姉
小島慶子
私には9歳年上の姉がいます。
姉はずっとずっと、憧れの人でした。
頭が良くて運動が得意で、英語がペラペラで、ダンスが上手くて学校や職場の人気者で、男性にもモテて、何を着てもよく似合う、非の打ち所のない女性。
若い頃から古典芸能やジャズやクラシックに親しみ、私に教えてくれました。
姉は、いろいろな世界への扉を開いてくれた恩人です。
だけど、子どもにとっては9歳も年齢が離れてしまうと姉妹というよりも若い母親のような、先生のような感じで、遊んでもらうことはあっても、他愛ないお喋りをしたり、打ち明け話をしたりという親密な時間を持つ機会はさほどありませんでした。
大人になってからは、姉は海外生活、私は仕事で忙しく、母親同士としてゆっくりつき合う時間も持てませんでした。
50代と40代の姉妹なんてあまり年の差は関係なくなりそうなものだけど、やっぱり姉は偉大なる姉のままです。
だからいつもどこかで、あったかもしれない姉妹の時間を求めているのです。
根っからの末っ子体質の私は、できれば頼れる人についていきたい。
だから、あんな人になりたいなあと思うような女性に出会うと、つい姉妹幻想を発動させてしまいます。
もしもこんな姉がいたら・・・と密かに胸ときめかせるのです。
年齢は関係ありません。
年上はもちろん、年下でも同い年でも、心の姉たちの前では、私は永遠に妹のままでいられます。
そして成長できるのです。
姉に憧れて背伸びしているうちに背が伸びる、って感じ。
そんな姉たちとの出会いは、40代になってからでした。
それまでは母のように慕う人はいても、姉を求めるという感覚はありませんでした。
自身も大人になって、やっと姉探しができるようになったということかもしれません。
心の姉たちは、それぞれに違う仕事をしています。
勇敢で繊細で、聡明で努力家で、現実的で理想家で、ちょっと意地悪なところもあってお人好しで、すごく、すごく強い。
いくつもの矛盾を抱えながら、芯の部分に純粋な思いを湛えている人。
そういう人に私はなりたかったのです。
多分それは、あったかもしれない自分の投影なのだと思います。
現実の自分は未熟だけど、このようでありたかったという理想はあって、それを部分的にでも投影できる女性に出会った時に「ああ、姉さん!」と思うのではないかと。
つまりは、永遠に失われた自分との邂逅なのかな。
自分が成し遂げられないことを、誰かに託すのって幸せなことじゃないかと思います。
一つの体で生きることのできる人生は一度きりだけど、心の姉がいれば、至らぬ自分も身の丈で生きていけるのです。
もしかしたら私も、知らぬ間に誰かに心の姉認定されているのかもしれません。
不完全な私でも、誰かにとったら自分にはないものを投影する対象になるのかも。
なれたらいいな。
このところ、そんな心の姉たちとの交流がしみじみ嬉しいのです。
中には心の兄とか弟と言えそうな人もいるけど、姉たちとは何かがちょっと違う。
女ならではのしんどさをシェアしている分、距離が近いのかもしれません。
そんなわけで今回は珍しく、友人たちが撮ってくれたオフの私の写真です。
六本木ミッドタウンでランチした帰り。
黒いワンピースとパーカーはAK+1、サングラスはオリバーピープル、時計はice watch、 サンダルはルパート・サンダーソン、バッグはセリーヌ。
カフェで作業中。
Tシャツはジェームス・パース、スカートはThe Row、時計はCASIO、スリッポンはナンバートゥエンティワン。
PCに貼ってあるシールは、アニヤ・ハインドマーチで買い物した時についてきたおまけ。気に入ってます。
Article By Keiko Kojima
小島慶子(タレント、エッセイスト)
仕事のある日本と、家族と暮らすオーストラリアのパースを毎月往復する出稼ぎ生活。 『るるらいらい~日豪往復出稼ぎ日記』(講談社)、『解縛(げばく)』(新潮社)、小説『わたしの神様』(幻冬舎)、小説『ホライズン』(文藝春秋)、新刊に『幸せな結婚』(新潮社)がある