指に宿る人生とイニシャルリング
小島慶子
昔、ある人が「僕は手フェチなんだ。だからあなたの指が好き」と言いました。だけど私の手はそんなにきれいではなくて、関節が目立つし、指先もシュッとしていない。なぜそんなことをいうのか不思議だったけど、その男の恋人の指を見たら、月夜に光る花蕊(かずい)のように美しかったのです。
ああなるほど、と得心がいきました。違う女に惹かれても「自分は手フェチだ」と言明することで、男は恋人への忠誠心を示していたのですね。とびきり綺麗な手を持つ女に、私はかなわない。それがこの男の後ろめたさを和らげるのだろうと思うと、ちょっと可笑しかったのです。
働き始めてからずっと、指先にマニキュアやジェルネイルを欠かしたことがありません。20年以上前に初めて行ったネイルサロンは高級住宅街にある大きなお店で、裕福そうなおばあちゃんたちも来ていました。花柄を描いてもらったり、赤いペディキュアを塗ってもらっているのを見て、何歳になってもおしゃれを忘れないでいたいものだな、と憧れたものです。
ところが最近、やはりネイルを欠かさなかった友人が、長年のサロン通いに終止符を打って、素爪に戻しました。ツルツルのジェルネイルを見慣れた目には、40女の生身の爪は新鮮で、なんともいえず官能的でした。
そういえばかつて、マニキュアを塗らないで欲しいと言った人もいたっけ。爪の下の肉が薄桃色に透けているのが美しいから、と。当時の私は20歳くらいだったから、血色が良くて爪も瑞々しかったはず。あどけない裸の爪に戻った友人の手を見ていたら、昔の彼の気持ちが少しわかった気がしました。
指先はとても表情豊か。何かを触ったり掴んだり、文字を打ち込んだり食べ物をとったり、欲望がそのまま仕草に表れます。相手を打つことも撫でることも、押しのけることも引き寄せることもできる手は、だから見る人の妄想を掻き立てるのでしょう
私の手は筋張っていて、爪はトウモロコシの粒みたいな形だし、少女漫画に出てくるような先細りの指とはほど遠い。写真に撮ればいつも妙に力が入っていて、大抵は両手でおかしな印を結んだようになっています。いかにも身の置き所のない感じが表れていて、つくづく体は正直だなあと思います。
2ヶ月連続で愛用中の細フレンチ。ベージュのベースにビビッドなピンクを重ねています。細く入れると悪目立ちせず飽きも来ません。ご覧の通りの丸っこい爪でも縦長に見えるマジック…
会うたびに手のひらを合わせて、大きさを比べている息子たちも、どんどん成長してしまいました。今や高2の長男の手は私よりもふた回りも大きいし、中2の次男にもついに追い越されました。もう子どもと手を繋いで歩くこともなくなって、なんだか寂しい。最初は小さな紅葉のようだった湿った柔らかな手が、こんなにのびのびと育って、まだ見ぬ世界を掴もうとしているなんて、時の流れを思わずにはいられません。
息子たちはいつか大事な人の手をとって、広い世界に歩み出ていくでしょう。私はこの先、もう誰かと手を触れ合ってときめくことはないのかもしれないけれど、ないと思いたくない自分もいます。
最近、子育ての先輩でもある尊敬する女性と一緒に訪れたお店で、素敵なイニシャルリングを見つけました。一目見て気に入って、それぞれにオーダー。時々お会いすると彼女の指にはゴールドのMが光っていて、私の指にはピンクゴールドのK。仕事と子育てを経て貫禄のついた指には、大ぶりなイニシャルリングがよく映えて、なんだか誇らしいのです。生まれた時から私は慶子。名字が変わってもそれは変わらないんだよなと、今更ながら感慨深く眺めています。
ヴァンドーム青山でオーダーしたイニシャルリング。中指でも人差し指でも入るサイズにしました。あたりが柔らかくてつけ心地が良いので出番が多いです。
MARC CAINを着ました。衣装はすっかり春です。
Article By Keiko Kojima
小島慶子(タレント、エッセイスト)
仕事のある日本と、家族と暮らすオーストラリアのパースを毎月往復する出稼ぎ生活。 『るるらいらい~日豪往復出稼ぎ日記』(講談社)、『解縛(げばく)』(新潮社)、小説『わたしの神様』(幻冬舎)、小説『ホライズン』(文藝春秋)、新刊に『幸せな結婚』(新潮社)がある